【失敗は成功の元の素】004:ブランディングとは「好き」の表明である
こんにちは、hakutsuです。
前回、広告と販促をごっちゃにしないように、という話をしました。
世の中で一般的に言われている「Web広告」というシュールな言葉についても解説したかと思います。おかしいですよね、やってることはバリバリ販促なのに広告だなんて。
ぼく、Webの世界に来てからずっと違和感を覚えていたんです。アフィリエイトをやってる会社の人が自分たちのことを広告マンだというんですよ。そして、ぼくが求人広告の前にグラフィックの広告をやっていたことを知ると、同じ広告マンとして~みたいな文脈で話をしてくるんですね。
あれ、いつもどうなんだろう、と思っていました。
だって同じ広告マンだったら当然通じるであろう話がぜんぜん通じないんですもの。
まず彼らの特徴としていわゆる一般的な広告をほとんど見ていないんですね。見てないだけでなく「アナログの広告オワタ」とか言うんです。そして彼らが熱心に勉強しているのは広告ではなくて、ダイレクトマーケティング。
神田昌典さんが提唱しているヤツです。
あれは読んで字の如く「いかに売るか」を徹底的に追求した販売手法です。いかに合理的に売るか、の追求ですから、それ以外のことはどうでもいい。いわゆる狩猟系の考え方ですね。
それが、いわゆるビジネスサイドの価値観にフィットした。理解を尊ぶビジネスパーソンは、わかりやすさ、明確さ、数値化、見える化を旨とします。そしてマーケティング、販売促進の世界ではそれは是そのものです。
さて、今回の本題へ。
広告は違います。
前回もお話しましたが、広告はモノを売りません。
広告はその情報を発信する企業や団体、あるいはサービスそのものを好きになってもらうものです。
そしてこれこそブランディングの正体なのですが
広告は自らのことを語りません。
広告では自らのことではなく、自分が好きなことを語るのです。
商品名や会社のロゴ、スローガンなどは入ったとしても最後に一コマ。そこに至るまでのストーリーには、自分のことは一切入りません。
アップルの広告キャンペーン「Think different」が最もわかりやすいです。
ここではスティーブ・ジョブスは一切、自社の話をしていません。プロダクトの話も、サービスの話すらしていません。
なになにがいくらで、いつから発売。そういった「消費者が欲しがっている」とデータやリサーチやマーケティングの世界でまことしやかに語られている説に真っ向から立ち向かっています。
そして、アップルはどうなったでしょう。
いまのMacやiPhoneの世界的な浸透ぶりをみれば、あらためて言うまでもないことです。
ジョブスは復帰後の1997年にこの広告キャンペーンを開始し、見事な世界制覇を果たしました。
ここでジョブスはアップルが好きなものをひたすら掲げています。20世紀に活躍した偉人がCrazyとして次々に登場しています。アインシュタイン、キング牧師、ボブ・ディラン、ジョンレノン、モハメドアリ、ガンジー…こういったヒーローをアップルが企業風土としてもともと持っていた「対抗文化」のイメージとして扱うことで自社の差別化=ブランディングを確立しようとしているのです。
このフィルムに描かれている「アップルの好き」を「わたしも好き」と捉えた「共感」が世界中に「連帯」し、大きなムーブメントを巻き起こすことになります。ここまでくれば、値引きなど一切必要ありません。半額キャンペーンなど愚の骨頂でしょう。
アップルは見事に人々にとってなくてはならない熱狂的なブランドとしての地位を獲得したのです。
ナイキも同様です。
文字数が尽きてきたので、こちらのキャンペーンについてはまた別の機会で紹介しましょう。
まとめると、ブランド(ブランディング)は自分のことを語らない。自分の「好き」を語るということです。その好きに共感してくれたファンが連帯し、強い絆が生まれる。それがブランディングのあるべき姿なのです。
逆にいえばそれ以外はすべてセールスプロモーションである、と捉えてください。